2ちゃんに
こんな記事が。
私が退官したのは、親父の癌が明かになって、両親の面倒を見るために実家の近くで定住することが主たる理由だったのですが、
正直なところ、このような記事に代表されるような今の国民を、「守る」という気概が失せてしまったところも実はあります。
日教組の教育の所為で、自衛隊、ひいては軍人が「市民殺しの職業」という誤った認識を植え付けられていることは、
元々分かってはいたことですし、最近ではそれも和らいで来た感はあります。
(注:以前も書いたかと思いますが、正規軍人が殺傷して良いのは、交戦状態にある敵兵のみです。
それ以外の者を殺害した場合は一般人と同様、殺人の罪に問われます。
空爆などの戦略攻撃を防ぐために市民を盾にしたりとか、一般人に紛れて活動するゲリラなどの所為で
市民が犠牲になる場面が往々にして見られますが、決して許されている行為ではありません。)
私も根っからの愛国者というわけでもないですが、「現在の国体を維持」することを目的に、
「国体の主体たる国民」に対し、「自身の生命をもって盾になる」ことを任務の本旨だと捉えて来ました。
自衛隊には、規模、備蓄を見ても分かるように、「打撃力」はあっても「継戦能力」は殆どありません。
侵略がどうとか言ってる方々には、そういった基本的な所が見えてないんですね。
お隣の国々が言ってるような「侵略の意図」が無いことは明々白々なのですけど・・・
GDP世界2位がどうたらの前に、核ミサイルの照準を付けられている国にODAとか・・・
(ちなみに核はどうやっても無差別都市攻撃になりますから、使った時点で戦争犯罪です。
敵の戦争犯罪に対する「復仇」は許されているため、それに備えて「保持」することはできますが、
日本は核戦力を持っていないし、都市攻撃できるような戦力も保持していない・・・
当然、「復仇」もありえないわけです。)
それでいてMDを装備するとか言ったら、極東の安全を脅かすとか訳わからんこと言ってくる。笑
どうみてもこの状況の方がおかしいでしょうに・・・
・・・ちょっと軌道修正・・・
で、日教組的な反戦思想家な方々に対しては、まぁ、自衛隊創設時からのことですし、それほどの抵抗感はなかったのですが、
では、なにが私の意思を削いで来たかというと、リンクにあるような無知な知識人が増えて来ていること。
「国体を守る」ことの意義、目的について、「国を牽引すべき上層の人達」、ひいては組織体そのものが蒙昧になりつつあることです。
私の退官時、外見的には、防衛庁から防衛省への格上げこそありましたが、
「専門的なことは専門家に任せてりゃいいじゃん」的な措置にしか見えないところも多い。
上位組織としてやらなければならないはずの、本質的な問題や議論から目を背けて、
「じゃ、あと宜しく」、「よきに計らえ」的なところがどうしようもない状態になっているなと。
さすがにボス自身が「自分がボスだとは知らなかった」発言には呆れました。
20代の若者を、なにもない離島や、雪深い山の中に何年も閉じ込めておいて、彼らの青春に報いる意識はないのかと・・・
(正直、勤務時間がどうたらとかいうサラリーマンとか、刑務所経験がどうたらとかいう作家さんには、
一度軍隊入ってみろや!とか言いたくなります。まぁ、職種や赴任先で待遇も違いますがね・・・)
リンク先の意見が本質的に間違っているところは、「自分は国に頼っていない」と勘違いしてることで、
・「基本的人権」は「国家」が保証しています。
・逆に言えば、「国家危急の際」には「基本的人権」さえも制限されますし、他国は保証してくれません。
日本以外の国で「徴兵制」がどれだけあるかご存知でしょうか。世界の軍隊の4割は徴兵です。
兵士というのは、本質的に「基本的人権」を制限されます。自衛隊員も例外ではありません。
つまりは、「自由」、「権利」というものが当たり前に与えられるものとして考えているというところに、
「こいつゆとりかよ」的な無知の匂いがプンプンしてるわけです。
国を譲ったとして、現実的に奴隷としてまで扱われることはないでしょうが、少なくとも自治権やその他の
権利が剥奪されることは目に見えてます。
第一、「簡単に国を譲り渡す国民」を、誰が自国民にしたいと思うのでしょうか?
(まぁ、唯一アメリカとくっつくくらいですかね。既に半分くっついてる状態ですし、唯一、「自由」を標榜する国ですから、
市民レベルで繋がっていくのなら、あまり抵抗はないかと。)
「大胆な発想の転換」はすごく良いことですが、基本的な前提条件を無視するようでは、「トンデモ」な方々と違いはないかなと。
今や、こういう人達が増えて来ていて、「平和ボケ」どころか、「知識としてさえも曖昧」な方々が、
政治や世論、組織の中枢にも出てきてることが問題かなと。
相手がどんな人物であれ、「危急にある国民」の「盾として命を使う」ことには、なんら躊躇いはなかったのですが、
「まるで分かってない連中」の思惑で、命の「使い時を誤る」「無意味に使われる」のは勘弁なのです。