↓なんか応答が無いので、(このフレームのソースを見ると解ります。)
ついでに
こちらにも突っ込み入れときましょう。
やはりこの人、自然科学を知らない様です。集団遺伝学や分子進化論を勉強しましょう。
なに今頃になって得意げに古典的ダーウィニズムに突っ込み入れてるんだか・・・
クラス進化論などとオリジナルな用語作ってはいるものの、他の理論に対して何のアドバンテージも無い。
これで「まったく新しい理論」とは・・・勘弁してください。
てことで、今回は徹底的に・・・。
「クラス進化 早わかり」------------------------------------------
・両者の結論は、ほぼ正反対となる。
・「段階的な進化」を結論する。
→過去、遺伝学では、前者を小進化、後者を大進化と呼んで区別している。従ってこれは明らかな思いこみに基づく考察。
ちなみに、初期の遺伝学では、顕著で目立つ遺伝的変異だけに注目していたため、ダーウィンが論じた
「連続的で軽微な」変異の存在が疑問視されていた。
しかしながら、遺伝的変異の多くは軽微で連続的なものであることが認識されるにつれ、
進化要因論が受け入れられるようになった経緯がある。
つまりは、このページで述べられているのはそれと同じ程度の認識に基づいた既存の議論でしかないということ。
もっとちゃんと勉強しよう。
・「優勝劣敗」という原理が働いた。
・「優勝劣敗」をもたらすのは、自然環境である。
・「優者と優者から優者が生まれる」
→ ウソ。分断性選択・求心性選択・指向性選択など、既に論議されている。
しかも、「優者と優者から優者が生まれる」とするのはメンデル以前の問題だ。(中学校で何を習ったのか・・・)
・クラス進化論では、「優秀なものが新たに発生する」という過程を、単なる偶然まかせにしないで、根拠を与える。
→ マクロ集団の議論だけでは「発生」の過程はとうてい表現不可能。実際に説明できてない。(後述)
・「弱者連合」という発想である。
・この原理を、「クラス交差」と呼ぶ。
・劣者と劣者の組み合わせから優者が生まれる
→ 勝手な定義。集団内の個体選択という概念は既にある。しかも原理じゃない。
(あなたの論文、先生に真っ赤に添削されなかった?(笑))
・これが、通常、「進化」と呼ばれる。
・「旧種から新種へ変化していくこと」であった。それは、一つの種の出来事であった。
・「旧種にとっては不利なもの」が存在していることが必要だ。
→ウソ。元の種との差異を増大して多様な種を生じてゆくこと。(広辞苑)
交替と多様性は正反対である。妄想で議論を進めないないように。
ダーウィン(それに先立ってのリンネ)が注目したのは、種の類似性と階層性である。
つまり、どこをどう叩いてもこのような結論は出てこない。
ちなみに、ポケ○ン等で「進化」という言葉はメジャーだが、中学の学習指導要綱から「進化」が無くなったため
「進化」と「変態」の区別が付かない人が増えてくるのでは?という懸念が現在ある。
どうやら杞憂らしい。習っていてもちゃんと理解していないらしいから。(笑)
・すると、劣者同士が交配する。〜 進化は、クラス交差によって新種が誕生した時点で、急激になされた。
・さらに「クラス交差」を重ねるにつれて、新人は旧人とはまったく別の種となった。
→種が変わる程急激に変異した個体同士が何故選択的に交配できるのか?
またこのような小集団は突然変異の確率がぐっと下がるし、選択的交配が連続して起こる確率はもっと低い。
元の集団との隔絶される程の形質を獲得できるのか?おそらく連続性を残すような緩慢な過程でしかないだろう。
チェルノブイリでは、ネズミの突然変異率が1億倍に上がったが、元の種を保持している。
それほどまでに求心性選択は強い。
クラス交差なる概念では遺伝的浮動の説明はできない。
・クラス進化論では、進化の基礎に、有性生殖を据える。従来の進化論は、突然変異だけを考えていた。
→ウソ。突然変異だけでは、遺伝子のるつぼが発生するだけである。
有性生殖による淘汰を考えているのが従来の進化論。有性生殖による大進化の可能性を見い出し「たい」のがクラス進化論。
→うわ。ほんとに言ってるし。(笑)ヒトとサルは元は同じ祖先ですが、現存するサルではないですよ。
つまり、旧種も進化している。
・この進化を、「一期の進化」と呼ぶ。
・「多期の進化」と呼ぶ。
・なお、この図式を「Y字状の図」と呼ぶ。
→また勝手に造語して・・・同じ意味を別の言葉で繰り返すのも、「文系(笑)」の悪い癖ですよ。
樹形図って習わなかった?
・進化は、突然変異が起こるか否かによって決まるのではなく、クラス交差が起こるか否かによって決まるのだ。
→だが、クラス交差が起こるスパンはあなたが言うようならば、突然変異の確率と大差ないか、むしろ長い。
つまり、大進化を説明できてない以上、なんのアドバンテージもない。
・旧種のなかにある新種の遺伝子は、クラス交差によって核を形成することが〜クラス交差によって核を形成することが不可能だ。
→この選択性が生じる理由が無い。環境的ファクターを追加・修正するならば、幾らか全うであるが、
クラス交差などを持ち出す意味合いは無くなる。
「Q&A」----------------------------------------
・自然淘汰説を否定している。
・ドーキンスの説は、
・木村資生の説は、
→どれもこれも理解がねじ曲がっている。勉強し直そう。
・それは、「種の絶滅」または「個体の死」を説明するだけであって、「種の誕生」を説明するわけではないのだ。
→「負の自然選択」だけのことを言っている。また、「種の誕生」は、クラス進化論でも説明しきれてない。(ビン口効果の理由)
・「優者が進化をもたらす」という主張を全面否定し、「劣者が進化をもたらす」という主張を唱える。
→前者は自然選択の曲解。また、後者は前述の木村の中立説となんら変わらない。むしろ形質固定のプロセスが人為選択的な
クラス進化論よりも、「偶然」とした中立説の方が自然だ。
・それは、ダーウィン流の考え方に染まっているから、信じがたいだけだ。
→ダーウィン流の考え方を持ってしても、そんな結論には至らない。思いこみ。
・「劣者」とは、旧種にとって「劣者」であるにすぎない。
・それが「クラス交差」の本質だ。「クラス交差」の意味を思い出してほしい。
→ここで人為選択が為されている。新種にとっては、「優者」となるためには、選択的交配が必要不可欠だ。
でなければ、形質固定の初期段階において、劣者は負の自然選択を受けることになる。中立説では求心性選択で淘汰されない程度
の変異の蓄積を考えた。即ち、小集団や隔離といった環境のファクターが重要であり、これが選択的な遺伝子の集中を産んでいる。
選択的な遺伝子の集中に理由がないことで、クラス理論は中立説に劣る。
・ある意味では、そうだ。かわりに、「多様性が大事だ」と言い換えてもいい。
→中立説そのまま。つまりは、中立説の持つ問題点がそのままである。
・クラス進化論における「多様性」は、形質に変化をもたらすような多様性だ。つまり、意味のある多様性だ。
→だからこそ、遺伝子の集中と矛盾しているのだ。どうやって求心性選択の淘汰を逃れるのかが論じられてない。
・さらに、クラス進化論には、「遺伝子の集中」という原理がある。
→原理にしちゃったよ・・・そんな結論はクラス進化論とやらからは導出できない。
・中心が一つか二つか、ということだ。
→曲解。勉強しましょう。また、記号解釈を変えただけでオリジナリティを見いだす事も「文系(笑)」の悪い癖。
・クラス進化論は、あくまで、進化論の「基礎原理」を示すだけだ。
→基礎から矛盾を孕んでいては、意味がない。
・カンブリア紀の爆発
→有性生殖が多様性を産んだことには同意。但し、このことはクラス進化論の価値と矛盾する。
何故なら形質固定の過程において、ランダム交配は負の淘汰を生じ、遺伝子の集中を阻害するからである。
・インターネットで公開してくれないの?
→恥の上塗りだから止めた方が賢明
・お金を払って本を買うのはイヤだ。タダでほしい。
→お金を払っても要らない。
・「概要」さえ理解できない世間が、はるかに難解な「本論」を理解できるはずがありません。同じことです。
→なんかトンデモな連中と同じ事言ってるし・・・
・学会誌というものは、既存の学会を発展させるためにあるのであって、既存の学会を全否定するためにあるのではありません。
→間違い。学会発表したことある?物理学会なんかは、トンデモな発表にまで時間を割いてくれてる。
聴衆に話を聞いてもらえないのは、聞くに耐えない議論であるから以外の何者でもない。
・空白のまま、進化というものを考えました
→だから基本ができてないわけですね。あなたの知識は誤解や曲解だらけです。
物事を記号化して考えることは有益ですが、極論は誤った結論に陥り易いものです。
一般的に情報系の方はこの傾向が強いように感じます。勉強の仕方を変えた方が良いですよ。
・今の日本の研究者は、「欧米人が正しいと言ったことだけを、日本でも研究しよう」という態度です。
そして、そういう人々ばかりだから、自分の頭で検討する前に、「正しいの?」と質問するのです。小学校の生徒のように。
→あなたは、「自分が正しいと思ったことだけを信じて、他を排斥しよう」という態度です。
そして、そういう人だから、基礎を学ぼうとする前に目を閉じてしまうのです。中学校の生徒のように。
Q&A2-------------------------------
・「突然変異」&「自然淘汰」 ならば 「進化」
→ダーウィンが性的選択を持ち出したように、突然変異と自然淘汰が必要十分でないことは、当初から認めている。
一方で、クラス進化論は+クラス交差を必要十分と見なしてているのだから余程質が悪い。
前述の通り、遺伝子の集中は、このモデルから自発的には起こり得ないからだ。
・ 「僕が彼女を愛する」かつ「彼女が僕を愛する」ならば「結婚できる」
→表現として不適切。
「僕が彼女を愛する」かつ「彼女の写真を持っている」ならば「結婚できる」
程度が妥当だろう。
・「増えるもの」「減るもの」という意味だ。
・
→異種進化には数の優劣は関係ない。交配可能な遺伝子群にのみ言えることだ。
ある形質が交配可能な集団の中でどうやって固定されたのかが問題なのだ。
・それは、理論の問題ではなくて、実証の問題だ。
→分子生物学は立派に理論の問題である。
・新たな遺伝子(o)は、旧種の中心からはどんどん排除されていくが、新種の中心にはどんどん集まっていく。
・旧種においては多様な遺伝子を排除する力であり、新種においては多様な遺伝子を取り込んでいく力である。
→この選択性はどうやって生まれるのか?モデルが無いし、極めて不自然である。
改めて言うが、クラス進化論からの論理帰結ではない。
・次の比喩を理解するとわかる。
→なぜこの比喩なのか?類似現象を述べただけ。原因を問題としているのに、原因の異なる現象を
持ってきても意味がない。これも「文系」の悪い癖。
・従来の進化論では、「正の自然選択」は否定されているが。
→ウソ。勝手な思いこみ。
・劣者の集団のなかでは、既存の劣者の集団に比べて、「いくらかマシ」でさえあればいいのだから、有利なものを見出しやすい。
→集団の隔絶が環境の変化無しに起こっているのは何故?もし、ランダム交配可能な集団でこれが自然に
起こりうるとすれば、求心性選択など起こり得ないし、これに環境条件で解答を与えるならば、クラス進化論自体無意味となる。
かなり破綻気味。
・あちこちに生じた集団では、非常に多様な美女集団ができた。
・少数の個体だけがいる小集団(つまり新種の集団)にむかって、新種の遺伝子が次々と集中していく。
→これをビン口効果という。ランダム集団内での特異例としてよく紹介されるが、あくまで特異例。
一般的な現象としては見て取れない。基礎的な理論にこれを持ち込むのは適当とは言い難い。
「進化」とは、「旧種のなかで新種が誕生すること」である。「新種が誕生したあとで、新種が旧種を駆逐すること」は、進化ではない。
・「種の交替」と「進化」とは、別の現象なのである。
→思いこみ。従来の定義が曲解されている。また、定義を変えると違ったように見えるというのは、文系的発想。
・赤いボールから青いボールへという変化があった。
→頼むから例えになってない例え話はやめてくれ。この例えの中で進化に相当するものは何もない。違いを表現すべき
例え話が全く違いを説明していない。しかも自分でこれは自然淘汰だと言っている。ならば、従来の説はむしろ後者じゃないのか?
溶液中における「結晶の成長」と同様だと思えばよい。
→例えになってない例え話はやめてくれってば。しかも間違っている。
分子間の相互作用が無ければ結晶はできない。熱力学第二法則に反する。
遺伝子も同様。相互作用(なんらかの理由)無しには、
・もはや離れることはなくて、新種に取り込まれる
などという現象は確率的にあり得ない。
・両親が新種の遺伝子を一つずつ備えていると、子はその双方を備えることができる。
→メンデルの法則からやり直してくれ。ヘテロの親から生まれる劣性ホモの子の割合は1/4、
(12/23修正。つい引きずられて「優性」と書いたが、ヘテロで発現しない形質は劣性ですよね。)
つまり、世代を重ねても増えることは無い。遺伝子はダブルヘリックスであることを忘れてはいけない。
この際、多数派を占めるのはヘテロの子。ヘテロ形質は旧種集団の中でも多数派のはずである。
つまりは旧種そのものであり、選択性が生まれる理由がない。
即ち、特異性が生まれた(突然変異が起こった)後、速やかに選択性が発動することが必要である。
でないと大進化のスパンには収まらない。この選択性を普遍的な性質として扱うと、前述したとおり
求心選択などは起こり得ず、現実とかけ離れた結論に至る。
・ただし、初期条件では、仮定ないしテクニックを使う必要がある。
→上記のような結果となることが目に見えている。
また、ハーディ・ワインベルグの法則は、自然選択・突然変異・移住・遺伝的浮動などの要因が無く、任意交配が
行われる集団についての平衡を求めるものである。やってみると解ると思うが、論文にできそうなソースは得られないだろう。
・小規模でなら、可能だ。それは、「人為淘汰」だ。
→人為淘汰しちゃ意味がないだろ・・・
・まず、草食獣がたくさん存在した。〜
→中立説の説明そのままである。むしろ「空白領域」を設けたことは自然選択の条件を付与しており、
クラス進化論は無用となる。
・合計、五個の遺伝子が重要である。
→そうでもない。首/足が長くなる以外の形質は後天的に獲得可能である。
・新種独自の遺伝子を次々と蓄積して
・そのせいで、遺伝子に多様性がもたらされた。
・やがて、十個、二十個、……というふうに次々と「新種の遺伝子」を蓄積していった。(クラス交差で。)
→前述のとおり、自然淘汰が無い状況で多様性が増すというのは理論的におかしい。
つまり、クラス交差は不要な概念であり、状況変化に伴う自然選択という単なる中立説の説明でしかない。
・この「獲得形質遺伝説」は否定された。
→遺伝子構造が環境に応じて後天的に変異する例(適応遺伝)や細胞内での遺伝子組み替えの例がある。
・説明できないまま、単なる偶然まかせにしている。
→上記の空白領域は偶然ではないのか?
・まったく、非科学的な妄想である。
→熱力学第2則に反している方がよっぽどマックスウェルの悪魔である。
・科学的に考えれば確率的にありえないはずの突然変異を、
→根拠もなく断定しないように。多くの生物種の特定の形質遺伝子について、突然変異の確率が実験的に求められている。
また、前述のように環境を変えることで、このスピードが恣意的に変わってくる例もある。
・独自の遺伝子を吸収していくことができる。そして、その際、新しい環境の影響を受けるのだ。
→獲得形質しないんじゃなかったのか?前項と矛盾している。
・環境の影響は、「遺伝子の集中」の仕方を左右する要因として働く。
→動物の事例しか思い浮かばないからこんなことが言える。植物は自力で移動できないし、
交配に動物の媒介を必要とするものは特に恣意的な操作が不可能だ。これこそ恐ろしいほど能天気な発想である。
・大幅な進化は、常に、自然淘汰が弱まった環境においてなされた。
→前述のとおり、この結論はメンデルの法則を理解していないことによる「初歩的」誤り。
・なお、旧種と新種に働く正反対の力は、「負の自然選択」と「正の自然選択」という言葉で呼んでもいい。
→その用語は既に在るし、意味が違っている。
・納得しがたくても、その結論が現実に合致するから、正しいのだ。
→少なくともクラス進化論は合致してない。初歩的な計算で解る。
・進化をもたらすのは、優者ではなくて、劣者である。
→中立説と言ってることは同じ。
・進化にとって多様性が必要だ。多様性こそ、進化の原動力だ。
→多様性を生み出すことが進化である。原因と結果をごっちゃにしないように。
・進化の理由は、クラス交差である。それは短期間に急激に進む。
→本質的に短期間に進まない。初歩的な計算間違い。
・進化は、連続的な変化ではなく、断続的な変化である。
→それは大進化のこと。しかも結論ではなくてあなたが定義したことである。
・頻度だけを考えるのでは不足であり、遺伝子同士の連結〜
→そのとおりだ。だが、操作が間違っている。
劣性ホモ遺伝子が交配を行うことを考えよう。優性・劣性ホモの頻度は共に1/4、ヘテロが1/2である。
つまり、ランダム交配で劣性ホモ同士が交配する確率は1/16、劣性ホモとヘテロが1/4、ヘテロ同士が1/4である。
それぞれが劣性ホモを生じる確率は、1、1/2、1/4、即ち、次世代劣性ホモが残る確率は、
1/16x1+1/4x1/2+1/4x1/4=1/4となり、変化しないのである。
性選択や遺伝子の集中等の「正の選択性」を加えれば増えもしようが、ランダムな交配では数の増減はない。
(むしろ自然界で観測されるのは殆どが「負の選択性」である。つまり、血は薄まっていく。)
つまり、この条件の付加が理論の鍵であり、マトリクス操作は話をややこしくしてるだけで、全く無価値である。
・結論がほぼ正反対になってしまうのだ
・なのに、従来の進化論は、「一次成分によって進化は起こる」と考えた。
→従来の理論を曲解してるだけ。勝手な思いこみ。
・連結は二次成分だ。
→だからいちいち言葉を変えるなっての。
・通常は、「-1」と「-1」の組み合わせは、「-2」になるだろうが、特別な場合には、「+3」になって、「+2」をしのぐようになる。
→特別な場合を想定した時点で、このマトリクスの意味なし。
しかもこれは、「+3の優位性を持っている」というだけであって、頻度ではない。優位性を足し合わせたら頻度になるのか?
どう見ても優性ホモが少数派であることには変わりがない。
ちなみに普通は、優性・劣性を添字にする。
・「2次元の現象は、1次元の現象の単純な和とは異なる」ということだ。
→だからといってディメンジョンが変わることはない。
・新種を生み出すほどはっきりとした優者が誕生するのは、非常に稀だろう。数十万年に一度というように、きわめて例外的となるだろう。
→次の優者の誕生は同じ確率で起こるはずだ。異なる優性形質が連鎖的に集まるというのは妄想的だ。
かくして、優者誕生が連鎖するスパンは数十万年より遙かに長い。これは大進化ではない。
・(2) は、小進化だ。小規模な進化がときどき起こる。
→ウソ。思いこみ。
・ (3) が適用されるのは、大進化の場合だけだ。
→過程のスパンがダーウィンのものと殆ど変わらない、またはそれ以上であり、大進化を表現していない。
・単なる無知と混沌になるだけだ。
→明らかな間違いを覚えるのよりはまだ幸せだろう。そういう意味でこのページは好ましくない。
・つまり、染色体上で、遺伝子のダブりがあったわけで、「連鎖」(リンケージ)があったことになる。
→遺伝子はダブルヘリックスだってば。
・メンデルの考え方によれば、遺伝子は「分割不可能」なものであるから、
→そんなことは言っていない。思いこみ。形質が必ずしも1つの遺伝子でコードされているわけではない。
・正確には、「減数分裂」を考慮して、修正するべきだろう。
→基本だ。手抜きでしかない。手抜きのまま理論構築してはいけない。
・「有性生殖」とは逆の「無性生殖」(クローン作成)を前提としている。
→そんなことは言っていない。思いこみ。
・従来の進化論には、メンデルの重視した「減数分裂」という概念が、すっぽりと抜け落ちている
・従来の説は、遺伝子の二重性をまったく無視している[交配を無視している]から、そこに根本的な難点がある。
→はぁ?!
それはクラス進化論の方ですよ?
・「クラス交差」や「遺伝子の集中」という概念は、本質的には、「減数分裂」や「有性生殖」という概念と、同等なのである。
→甚だしく誤解している。クラス交差は減数分裂をまるきり無視してるし、
遺伝子の集中には無性生殖の方が有利である。
・ただし上の話では、直列と並列をあえて区別する必要はない。
→大ありである。頻度に影響する。つまり、過程のスパンに影響する。
・「クラス交差」や「遺伝子の集中」という概念を導入しないと、「減数分裂」や「有性生殖」を無視してしまう。
→逆だ。
・「生物の本質は愛と性だ」と主張する。
・相手に致命的な攻撃を加えない段階で、勝負がついた時点で、終了する。
・(例外は霊長類の一部だけだろう。)
→カマキリの雌は雄を食うし、ハムスターは子や兄妹を食い殺す。
・利己主義というのは、しょせんは、生物の形質を示す概念の一つであって、基本原理ではないのだ。この意味で、従来の進化論を否定している。
→だから一部を見ただけで全体を解った気になるな。しかも咀嚼しきれてない。
・親が自分のためでなく子のために育児したり、オスが自分のためにレイプするのでなく〜
→犬や猫、ネズミの交尾を見たことは?殆どメスの同意は無いが。
・ドーキンスなどの説が正しいとすれば、生物は、現状では、殺害と泥棒とレイプだらけであったはずだ。
→集団や社会構造の効果を無視した議論だ。リスク最小戦略を採ろうとすればそのような状況は生じない。
現代戦以前の戦争では、利益最大戦略に従って、そのような状況が当たり前であった。
・その小進化が積み重なって、大進化になるのでは? 従来の進化論は、そう主張しているが。
→ウソ。一部の理論のみ。(しかも条件付き)大勢ではない。
・肺魚であれ、シーラカンスであれ、サンショウウオであれ、大昔からほとんど変わっていない。ごくわずかな形態の差があるだけだ。
→だが、他の生物種の多くは形質を大きく変えている。また、それらの間には中間種が居ることが多い。
ヘッケルが言うように、古い遺伝子は偽遺伝子として我々の遺伝子コードに残っているし、
生体分子をコードする遺伝子の置換は進化の系統に沿って増加している。
明らかに進化の主体は小進化の積み重ねである。大進化の方が特殊過程なのだ。
・火事における火の拡大。原爆における核分裂。太陽における核融合。岩崩れにおける崩壊の拡大。ドミノ倒し。
→それは連鎖反応と言う。増殖とは異なる概念だ。
・原子や分子そのものに、「自己保存」という性質がある。
→モデルが似ているから同じ名前なだけである。電波と音波は同じ波動だが同質か?違うでしょ。
一般的にこれを「味噌糞一緒」と言う。(笑)
・それは「自己の複製を作ること」ではなくて、「自己以上のものを作ろうとすること」である。
→ウソ。シーラカンスや肺魚の例はここで使われるべき。即ち、外的要因がほぼ安定ならば、形質は維持される傾向にある。
・ウィルスなどの増殖も、雪などの結晶の拡大も、ほぼ似たようなものであった。
・有性生殖の段階になると、単なる自己複製を超えて、自己以上に高度なものを作ろうとするようになった。
→ウィルスの増殖システムをバカにしてはいけない。またウィルスの環境適応スピードもご存じのとおりである。
・ドーキンスなどは、そう主張する。しかし、この説は正しくない。
→ドーキンスの説は自己のコピーではなく模倣子の作成が重要だとしている。即ち、多様性を損なうことのない自己複製・増殖である。
あまりに極論的に曲解されているので、ここで上げられている反証は反証足り得てない。
・赤の他人と自分とで、遺伝子の共通性は0%だとされるが、これは、とんでもない間違いである。
→特定の形質を発現する遺伝子について言っているのは自明。むりやり曲解してはいけない。
・しかし、である。その六つとも、「愛ゆえ」という原理でなら、説明できるのだ。
→反証しよう。
1、愛ゆえに「自分の遺伝子」なんてものは存在しない。・・・支離滅裂。
2、愛ゆえに「自分のもつ遺伝子と同じ遺伝子がある」・・・1と同様だが、あえて後段だけを反証する。
1つの遺伝子座に納まる遺伝形質は2つだけとは限らないし、1つ(に見える)形質が1つの遺伝子でコードされているとも限らない。
また、遺伝子欠損1つで重大な欠陥を抱えることもあるし、血液型が異なると輸血もままならない。
・特定の形質の遺伝子があるだけとは極めて極論に過ぎる。
3、「背が低い事をコンプレックスにしている人が、必ずしも子供のために背の高い配偶者を選ぶかと言えば、そうでもない。
4、ドメスティックバイオレンス・幼児虐待の事例は多い。特殊な環境のためだと例外視するのか?
5、弱い子供を間引く例は動物には多い。
6、巣立ちした野生動物には親子の認識は薄い。また、生後親を当面の餌とする生物も少なくない。
有性生殖の生物は、自分の利益を超えて、他者(子や配偶者)への愛のために、行動する。
→勝手な思いこみ。ハムスターは夫、子供、兄妹であっても、一緒に飼っていると共食いすることが多い。
・利己主義とは、「ゼロサムにおける配分の変更」である。
→そうでもない。利益の総計が変動する場合、集団の利益が優先する場合も生じる。また、階層性社会ではどうか?
・愛とは、「ゼロサムではなくて、サムの増大」である。
→そうでもない。せっせと高価な食事を与えて我が子を成人病にしてしまう親も居る。
・ダーウィン説では、「子殺し」は、好ましいはずだ。
→極論。または考察の未熟。他者の子が生まれるのだからという仮定は集団で生息する動物にのみ当てはまるだけで、
縄張りを形成するような動物ではどうか?好ましいという結論には至らない。
・どんなに利口であっても、生物として欠陥品であれば、「子殺し」をすることがある。
→間引きはネズミなどの小動物では一般的な事象である。これは生物として欠陥品なのか?
・ダーウィン説では、オイディプスは賢明である。
→ここで重要なのは親殺しに対する倫理観である。社会的・宗教的に倫理欠落者となることは利益なのか?
・ドーキンス説でも、オイディプスは賢明である。
→近親婚は遺伝欠損のリスクが大きい。自分の遺伝子と同じ遺伝子をたくさん残すことにはならない。
・彼は、何をしたか? 生物の原理に反したのである。それゆえ、根源的な苦悩にさいなまれ、狂乱状態になったのだ。
→うちのハムスターは錯乱状態にならなかったが。
・自分の子(血縁度50%)を育てるよりも、自分の兄弟(血縁度100%)を育てる方が、
→子は1親等(50%)、兄妹は2親等(平均25%)である。 メンデルの法則をやり直そう。
・血縁度は、低い方が好ましい。つまり、血縁淘汰説とは逆のことが成立する。
→血縁淘汰説は、血縁度の高い個体を優先して残すとしているだけで、血縁度を高めるとは言っていない。
ここを誤解しないようにしよう。つまりは、余所の子よりは自分の子というだけのことだ。
「じゃあ、ミツバチは違うじゃないか」という疑問に答えたのが血縁淘汰説である。単為生殖だと、子よりも血縁度が高くなるからだ。
・好ましいのは、逆に、血縁度を低くするような交配、つまり、遠く離れたグループ間の交配である。
→完全に間違っている。どうあがいても、自分の子の血縁度は50%になる。遠く離れようが、低くなることはない。
・「利他的行動」と呼ばれるものは、本当は、自分にとって利益になるのである。
→ドーキンスらも同じ解釈である。
・しょせんは、半分しか残せないからだ。
→だから飽和点は50%である。それだけのこと。なんの反証にもなっていない。
・この概念をうまく定式化すると、「クラス交差」という概念になる。
→ならない。基礎が間違っているから。
・ハミルトンやドーキンス流の前提に立てば、〜
→曲解。同じ事をクラス進化論で言えば、「獣姦が理想だ」という結論になる。
・前者の考え方では、親にとって、「完全な自己複製が理想だ」となるので、「進化が起こらないことが目的だ」となる。
→どちらかといえばこちらの方が現実に近い。基本的に生物(生化学物質)は変異することを嫌う傾向がある。
また、エントロピーを減らす働きを生物は行うとしたあなたの考えにも合致する。
・親が子を育てるのは、そうすることが親(または親の遺伝子)にとって有利だからだ
→誤り。子(または親の模倣子)にとって有利だからだ。
・「親が子を育てるのは、そうすることが子にとって有利だからだ」と考えるべきだ。
・「部分最適化」という原理は成立せずに、「全体最適化」という原理が成立する。
→では、「自分の」子である必要性は無いのだから、我が子が一番可愛いと思う親はどこか欠陥があるわけだ。
・「親は繁殖年齢を過ぎたあとは生存価値がなくなる」
→何故?あなたの論法だと、一番大切なのは自己保存となるのでは?
・難解なので、読まなくてもよい。
→どこが?むしろ幼稚である。
・「ある遺伝子Gは、それ単独では頻度が減るが、他の何らかの遺伝子Hと結びつくと頻度が増える」
→このモデルは中立説のものと変わらないので頻度も同じはずだ。
つまり、中立説と同じく大進化を表現しきれない。
・しかし、現実には、遺伝子は一つの個体のなかで、遺伝子セットとして組み合わさっているのだ。
→1つの遺伝子が1つの形質をコードしているとは限らず、形質のパターンも2通りだけではない。
また、優性・劣性、染色体の組み合わせを考えると、形質の変化が大きいほど起こる確率は小さい。
しかも、遺伝子の部位により変異の起こる確率は異なる。つまり、モデルとしては、個々の遺伝子を独立なものとし、
これらの変異が合わせて起こる確率を求める方がモデルとして全うである。
分子生物学ではこれら遺伝形質の相関はもちろん、オペレータの置換も考慮している。
むしろ、これらの相関を単純な行列表で表そうという方がアプローチとしてはより単純化されたモデルであり、
こちらの方が現実的を良く表しているとは到底思えない。
・「遺伝子はたがいに独立している」というのは、「一つの遺伝子の有利・不利は、他の遺伝子には依存しない」ということだ。
・馬もキリンになっていいはずだし、ムササビも鳥になっていいはずなのだ。
→曲解。勉強しなおそう。遺伝の過程が独立しているというだけだ。それらの相関は昔から考慮されている。
むしろ、遺伝子セットとしてコード自体が相関していると考えるのは、モデルの単純化どころか、無用な相互作用を
シミュレーションに導入することであり、到底まともな結論は期待し得ない。
また、もし形質をコードする遺伝子間が進化の過程で相関をもって変異するのならば、イントロンよりもエクソンの進化スピードが
速いことになるが、現実的には逆である。
・従来の考え方では、「キリンになる」とか〜
→「キリンになる遺伝子」というものが1つ(または少数)ならそうなるだろう。だがそんなことは有り得ない。
むしろ、クラス進化論の方がこの結論を生じることに気付かなかったのか?
独立して漸次変化するからこそ、馬はキリンになれないし、ムササビは鳥になれない。
だが、形質がセットで最適化するクラス進化論ならあり得る。
・一つの環境に複数の生物が存在することはなくなるだろう。
→これも曲解。むしろ、遺伝子セットが互いに相関している方がこの結論を産む。
あなたの理論ではこの相関が遺伝子の集中を産むとしている。ということは、1つの環境には、それに特化した、
極めて同型の遺伝子セットを持つ個体群の集中が起こることになる。また、このことは求心選択の増大を意味しており、
個体群内での遺伝子多様性を低下させる結果となる。つまり、クラス進化論は自己矛盾を内包しているのだ。
自分の理論に踊らされてはいけない。論理は一歩ずつ進めよう。1足飛びに結論を急ぐからこのような基本的誤りを見逃すのだ。
・従来の説は、「部分最適化によって、全体最適化がなされる」と考える。
→全体最適化は起こるかもしれないが、必ずしも必要ではない。
なぜなら、あなたが言っているとおり、個々の遺伝コードは独立しているからだ。
一般的に自然界のポテンシャルはローカルミニマムに落ち着く。活性化ポテンシャルを乗り越えるだけのエネルギーが蓄積した際、
異なるローカルミニマムへと遷移できる。スパンを長く採れば次第に低い準位へとシフトしていくだろう。
実際に生物の遺伝コードが系統樹に沿って少しずつ置換していることは分子生物学の分野では常識だ。
遺伝子においては、外的・内的攪乱による置換、即ち多様性の拡大えをエネルギーと見なすことができる。
もしかしたら本当に深いポテンシャルの穴に入り込んで障壁を乗り越えられないかもしれない。所謂、進化の袋小路である。
全体最適化をするということはこの状況に近い。
・これが「クラス交差」に相当する。
→しない。何故なら、新種と旧種は同じローカルミニマムにあって、新種のみが選択的に遷移する必要が
あるからだ。この過程が記述されていなければ、このモデルはクラス交差を表現できていない。モデル構築が稚拙である。
ローカルポテンシャルを移動させるのではなく、異なる振動ベクトルを持った2つの玉を考えるのが理想的だ。
・無性生殖では、前項の「全体最適化」ということが不可能だからだ。
→ウソ。突然変異するし、ライフサイクルが短い分最適化は素早い。
ウィルスの環境最適化速度を考えてみよう。最適化が不可能であれば、医者は毎年インフルエンザに悩まされることはない。
進化論全体の展望-----------------------------------
・「概要」のページで記したことは〜
→基礎原理からして間違っているのは、トンデモ以外の何者でもない。
・基礎原理だけで、理論の全貌をわかった気分になるべきではあるまい。
→そのまま忠告としてお返ししたい。あなたは基礎原理さえもおぼつかない。
・そんなことが起こる確率よりは、地球全体がブラックホールに呑み込まれて消滅する確率の方が高いだろう。
→遺伝子の複数セットが同時に置換するとしたらそうだろう。
自分で言っているように、従来の説では形質遺伝は独立して起こる。また、その過程の間にも自然選択は起こる。
分子生物学的にも妥当な確率で置換が可能である。むしろこの反証はクラス進化論に対して行われるべきだ。
・実は、あまりにも複雑なので、要約を書くだけでも、相当の紙数を要する。
→ちゃんと実際に書いて見よう。あなたの得意な論理飛躍を行わなければ、とんでもない結果になるだろう。
・ついでに言えば、世間には、「幼形成熟で進化が起こった」という説があるが、
→いい加減曲解と極論は止めてくれ。これは進化の方向性についての議論だ。サルとヒトの遺伝子に違いが有る以上、サルの子が
ヒトにならないのは、あなたでなくても自明だ。専門用語を使いたい見栄は解るが、よく咀嚼してから持ち出そうね。傍目にも恥ずかしいから。
・ドーキンスの説は、こうだ。
→ウソ。自己複製は生存の目的であって、進化の方向性を示唆するものではない。
・遺伝子は、遺伝のためにあるのではなく、生命形成のためにある。
・遺伝子の目的は、親にとって子を残すことではなくて、子にとって自分を誕生させることだ。
→ということは、生涯独身のブリーダーだらけになって良いし、イヌの親はサボテンでも良いわけである。不自然でしょ?
こういった上げ足取りな反証さえも1つ1つ包括できるのが「定理」足り得る論理である。自分の論理に反証してみる癖を付けよう。
表紙---------------------------------
・なぜか? 罵倒が来るからです。〜……でもって、臆病になっちゃったんですねえ。
→学会発表では当たり前の事です。新たに理論を提唱した場合、周囲の疑問や反論に対して回答する義務が生じます。
それでも理論が全うならまともな議論が出来、発展性もある。過去の理論はそうした自浄作用を経て受け入れられてきました。
その手続きが受け入れられないのは堪え性の無い中坊となんら変わり無い。
・ただし、部分的な引用なら、引用元を明らかにする限り、構いません。
→部分的でないと思われた場合はご連絡下さい。
1/17追加
新たにスレッドにするほどの価値もないので、追記
第2部 概要-----------------------
・専門家の方々が、訂正すべき事柄をご教示してくだされば、謹んでお受けします。
→悪いが、相手にされないと思う。目新しい考察は無いし、専門知識を議論するにはあまりに未熟だ。
東大卒という自意識は捨てて、高校生やアマチュアとの議論を楽しんで頂きたい。
(最近のアマチュアは結構レベルが高いので、それでもまともに相手されるかどうか。)
・遺伝子レベルと、塩基レベル
→ここで言う遺伝子というのが、発現するコードの1まとまりを言っているのであれば、
大抵の蛋白質転写コードが持つ、イントロンが抜け落ちる過程の存在を忘れている。
・塩基レベルでランダムなエラーが発生して、そのエラーがたまたま好都合な組み合わせになると、
→そのとおりだ。だが、好都合な組み合わせが「同時」に起こる必要はない。
つまり、
・この確率は、ゼロではないが、ゼロ同然である。
という結論には至らない。思いこみ。
・なお、ここでは、塩基が「一つ、また一つ、また一つ……」というふうに、突然変異を一つずつ起こすことは許されない。
→極論&考察未熟。確かに微少なコード欠損は修正されるように人の体は出来ている。
が、修正されないエラーが遺伝子に残されることがあるのは旧知の事実。(遺伝病、癌細胞、放射線治療、ブリーディングetc)
過去の学者がこのような単純な話に気付かなかったわけはなく、従ってこのような仮定はおおよそ聞いたことがない。
・従来の説を前提とすると、「新しい遺伝子が生じることはとうていありえない」という結論となる。
→ウソ。論理飛躍。
・ケアンズの実験では、突然変異はランダムに生じるのではない、とわかった。
→論理飛躍。「ランダムにばかり生じるのではない、とわかった。」
あなたの論理は「全否定をしていない事実を持って全否定されている」とする悪い癖があります。
例えば、ミッシングリンク(大進化)があるから中間種は存在しない。と考えるのは、実際の生物種には大抵中間種が見つかるという
事実を根本的に無視しており、到底まともな論理展開は期待できません。
数学的に、「逆はかならずしも真ではない」というのはよくご存じだと思いますが? 応用できない?
これが私があなたを「アマチュア数学者」だと評価する理由です。
・この実験結果は、「ランダムに生じる」と主張する従来の説に矛盾している。
→論理飛躍。「増殖不可能になった集団では」→「適応的な突然変異率が見られた」という事実が得られただけで、
環境に応じた形質獲得の問題に1つの例を与えたに過ぎない。選択性を説明するモデルは無いため、これを根拠に論理を進めるのは早計。
・また、理論的にも、先に述べたように否定される。確率がゼロ同然だ、ということ。
→思いこみ。ランダムに置換が起こる確率はここでは論じられていない。
・しかし、「もともとあった」という説では、進化を説明できない。
→(笑)あなた、この話の意味を理解していない。「隠れ遺伝子」の話で重要なのは、眠っていた遺伝子が目覚めるきっかけ(過程)であり、
プロモータやエンハンサーなどの制御因子の存在に言及しているだけである。
つまり、眠っていた遺伝子とは、「変異していても発現しない遺伝子」であり、それが特殊環境のために制御因子によって、
または、制御遺伝子自身の変異によって発現すると言っているのだ。
眠っているというのは、「発現しない」という意味であり、「変異しない」という意味ではない。
ケアンズの実験においては、「普段は活性化していないが、増殖不可能になった場合に活性化する制御因子があるのでは」と言っているのである。
この辺の理屈は、1986年出版の一般教養で使ってた教科書にも書かれており、1992年時点では学部の学生でさえ「うん、まぁ、そうだろうねー。」
と言うであろう程度の話なのである。
つまり、
・猿のなかに人間の遺伝子がもともとあったからだ。
などとは、一般教養の学生でさえ思いつかない滑稽な結論なのである。
私があなたに「ちゃんと勉強しようね」と言っているのはこのへんの理由です。
・遺伝子が偽遺伝子になると、突然変異の頻度が非常に高まる。
→少し誤解。塩基レベルのエラー補正機能は、2重螺旋の相補正によって実現されるものであり、コードがエクソン/イントロンであっても違いはない。
また、求心選択の主な要因は交配によるものであり、エクソンだけが子に受け継がれるものではない。
実際にイントロンの置換スピードはエクソンよりも速いが、あなたが思っている程スケールは違わない。
もし、大きな差異があるならば、ランダムシーケンスになることが自然であり、後述の論理には結びつかない。
・ただし、ここでは詳しい話には立ち入らない。
→あなたの場合、立ち入った方が良い。なぜなら、いままでの考察における理解度を見るに、まともに理解しているか疑わしいからである。
・このことを、図式化しよう。
→あなたのアブストラクトはいつも抜けが多くて、むしろ話をややこしくしている。
形質発現までのプロセスはいくつもの過程があると言っておきながら、全然考察に生かされていない。
複数の特定時期に起こる発現過程が■1個というのはモデルの単純化にも程があり、バカにしているとしか言いようがない。
だから、↑立ち入って考えろと言うのだ。
・従来の用語の「ネオテニー」とは意味が少し異なる。
→これもあなたの悪い癖。意味が異なる単語を、なんとなく似ているというだけで違う意味で使ってみたり、
同じ意味の単語をわざわざ別の単語で言い換えてみたり、既存の単語を無視して新たに造語してみたり、
論文作成の作法でやってはならないことだらけです。
・成長期のうち、変態の時期以降で、遺伝子の働きが停止することになる。
→ウソ。だからちゃんとリサーチしろと言っている。アホロートルは、甲状腺ホルモンの分泌量が少ないため変態しない。
甲状腺ホルモンや甲状腺刺激ホルモンの投与、他の両生類の甲状腺の移植により変態する。遺伝子の働きは停止していない。
遺伝子の働きに関しては、「濃度」や「活性化」といった「しきい値」が問題となることが多い。
・結局、ネオテニーが起こると、遺伝子は働かなくなって偽遺伝子となり、その偽遺伝子において、突然変異の頻度が急激に高まるわけだ。
→整理しよう。アホロートルは、甲状腺ホルモンの分泌量が少ないため変態しない。
では、変態後の形質に関与する遺伝子が眠っていたとして、それらの遺伝子は大きく変異しているかといえばそうでもない。
ウーパールーパーはちゃんとメキシコサンショウウオになる。
あなた流の考え方をするなら、個体毎に違った形に変態するだろうし、眉毛や羽が生えていても良いことになる。
つまり突然変異の頻度が急激に高まるというのは妄想なのである。
・偽遺伝子において突然変異の頻度が急激に高まると、偽遺伝子に多様な突然変異体が登場する。
→前述。急激ではない。求心選択の過程を考えてみよう。これは外部環境の要因によるものと言うよりは、
あなたが重要視している「有性生殖」が主な要因となっている。この際、重要なのは2重螺旋のペアであり、エクソン/イントロンではない。
つまり、
・求心性選択の力が働かなくなった
というのは、明らかな思いこみによるウソである。基礎を疎かにするからこのような初歩的な間違いに気付かないのである。
・本論の説では、遺伝子がいったん偽遺伝子となるので
→偽遺伝子となることで、ある程度の自然選択を逃れられることは有利かも知れないが、再度機能回復した際に生体内で受け入れられる
確率を考えるとメリットは無い。高等動物の場合、同じ種であっても臓器移植のためには様々な関門が存在する。
蛋白質1個のコードでさえ、生体内のシステムバランスを崩す要因になる。
また、外的選択性を受けないのであれば、「有利な変異」をする必然性は無い。むしろ無意味なコードとなっていくのが自然だ。
(実際、偽遺伝子に古いコードがまるまる残っていることの方が希である。大抵は一部が残っているに過ぎない。)
「突発的な変化」の確率は、ランダムなものより低いだろう。
・無数の段階があって、連続的に変化していくわけではない。
→思いこみだけで話している。
特に「ヒレから足へ」(あるいは「エラから肺へ」)という過程は、両生類の一部が「変態」という
形質を獲得することによって穏やかな進化を遂げている。中間的な器官をもつ種は必ずしも必要ではない。
前にウーパールーパーの話を持ち出しておいて、このことに気付かないのは哀れとしか評しようがない。
・かくて、個体形成の量が11段階であるような、新しい種が誕生したことになる
→で、これでヘッケルの説を説明するわけですな。先が見えてしまう。(笑)
で、最後の段階だけが発現しなくなる理由は?何故途中ではだめなの?
この■並びは1つの形質が発現する過程を表現していない。
これは私の推測であるが、あなたはこの変なモデルでそれも表現できていると勘違いしてるでしょう?
・従来の説では、「塩基レベルの置換が起こる」とだけ考えるから、「進化に応じて遺伝子の量が減る」という現象を説明できない。
→いや、あなたの説でも、遺伝子の総数は変化してないですよ?偽遺伝子になると自由に長さが変わるの?
小学生でも判る理屈ですが。(笑)
ほら、変な図で抽象化するから、小学生並の足し算さえもできなくなる。
・生物は、進化の過程で、少しずつ新たな遺伝子を獲得してきた。
→?あなた、それをずっと否定してきたのでは???
・長い時間をかけてせっかく獲得した形質
→あなた、これもずっと否定してきたはずですが???
・そのあと、無数の試行錯誤のすえに
→さらりと言ってのけてるが、この頻度が重要。どう考えてもここで時間を浪費する。
これこそ「確率がゼロ同然だ」。
・A → B → A → C
→あり得るが、だからといってA → B → Cの否定にはならない。
むしろ余計な時間を浪費している。
ちなみに、陸上生物と水棲生物の大きな違いは「エラ」と「肺」である。
カエルは変態して両方を使うし、肺魚は大分退化しているが、両方の器官を備えている。
肺はエラを元にしたものなのか?
・歴史的に見れば、小型動物である食虫類などから、大型動物である有蹄類などが生じたはずである。
・化石的に見れば、ほぼ同様の結論が得られる。
→激しく誤解。思いこみ。「退化」という言葉は大昔から有る。
・形態学的に見れば、小形動物も大型動物も、すべて対等な関係にある。
→そんな学説は聞いたことも無い。
分子生物学的に見れば、塩基置換の部位、程度は系統樹に従う。極めて直列的だ。
・とすれば、それぞれの類は、包含関係のある「入れ子型の構造」をもつはずだ。
→系統樹は入れ子になっているか?不思議なことを言い出す。
よく系統樹を見よう。現存種の殆どは枝先になっているはずだ。
ちなみに系統樹のごく近い生物は交配できる。もし完全に対等であるならば、ネコとイヌの雑種が出来ても不思議ではない。
・∈という字を左に90度回転させたような形になる
→ならない。退化することで生まれた種は祖先とは異なるだろう。ヘッケルの説が完全でないと考察できたのなら
自明なはずだ。つまり現行種から枝分かれすることと変わらない。
さらに根本的に、樹形図の縦軸は「時間」である。あなたはプロットさえも満足にできないのか?
・ここまで述べたことを、まとめてみよう。
→「オナニー」はこのページのキーワードである。
従来の考え方をいじり倒してわざわざ曲解したあげく、「ネオテニー」という妄想を元に大進化を説明できると信じている。
「ネオテニー」は、「退化」を意味する。あらためてCという種に進化し直すには、神様が途中に介在することが必要である。
ネオテニーが起こったにしても、突然変異の頻度が非常に高まることはない。
むしろ「自然淘汰」を受けないことで、無意味なコードとなり、プラスの効果があるどころか、マイナスの効果がある。
遺伝子が働かなくなるためには、制御機構の欠損、つまり環境条件が厳しくなることが必要だ。つまり、一般に、
ネオテニーが起こるためには、自然淘汰の力が強いことが必要であろう。
そういう突然変異をした偽遺伝子のなかから、あるとき突然、有益な遺伝子が出現したにしても、そのスパンは極めて長く、
再度発現した遺伝子が母体に適した変異であるなら、大した形質の差は無い。つまり、これは断じて大規模な進化ではない。